前頭連合野/46野のORIGINAL NOVEL

※ 無断転載等、持ち帰り等はしないで下さい。
※著作権は前頭連合野/46野の管理人、怪物の顔(鮭)にあります。





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雨上がりの早朝、一台のバスが高速道路を走る。
その中で、一組の男女が乗っていた。

「―――あの〜」

女は春日子。

「―――― −なんだ?」

男は孔蛾。

二人は早朝バスに揺れながら、持参したコンビニのおにぎりを頬張っていた。
春日子はシーチキン、孔蛾は明太子の具。

「―――ボク、今更気づいたんですけど」
「――うん、如何した?」
「―――なんで」
「――うん」
「―――なんで、孔蛾さんがボクの母親再開の旅に付いて来るんですか?」
「――!あっ、バレた」



春日子は自ら母親に会いに行く事に決心した。
これは、自分と母親の問題。
―――なのに、何故か隣の席には孔蛾が居て、しかも寛いで座っている。
勝手に人の手紙読んで、勝手に「自分からお母さんに会いに行け」だの言い出して、
しかも勝手に行き成り告白してきて、勝手に一緒に行こうとか言い出して、
その後勝手に二人分のバスのチケットを用意して、
そして勝手に手を引っ張られてここまで連れてきた・・・。
春日子は――本当に、つくづく孔蛾さんは勝手な人だ。と思った。
―――ついでに強引。

「―――バレたって・・・兎に角、何でボクと孔蛾さんが一緒に会いに行くんですか?
ボクがボクのお母さんに会いに行くのが目的なのに、孔蛾さんはちっともその事に関係ないじゃないですか!
なのに、ボクの横で平然とおにぎりを食べている・・・・」
「俺はお前の保護者だから〜子供のお前が無事たどり着けるように引率しているの!」
「――なっ!何が、保護者ですか!引率ですか!ボクは小学生じゃありません!!」
「――いいじゃん!別に遠足と思えば楽しいじゃん!」
「―――なっ!遠足・・・」

―――帰るまでが遠足です。

春日子は、遠足と聞いてこれを思い出す。 帰るまでが遠足です。は、校長先生がよく言っていた言葉だ。
・・・・・そしてオヤツは三百円まで。

「―――お前は見ていて“危なっかしいから心配”なんだよ」
「・・・・えっ?」

――――“危なっかしいから心配”
孔蛾はつい本音を漏らしてしまった。
気が付けば何時も彼女は危ない目にあっている。
遊園地で自殺を偶然目撃した事から始まって、この前は死体を・・・。
まぁ、直接目に触れないように配慮したものの、大変な事件に巻き込まれた事には違いはない。
だから今回も何かあったら・・・と思うと怖い。守りたい。いや、もう守ると決めた。
今は「人を振り回す、勝手で嫌な奴」と思われていていい。
でも何時かは「気が付けば肩に寄りかかっている存在」と思われたい。自然で良い、自然が良い。
――― −それがいい。

「・・・・まぁ、そういうことだ」
「なんですか?それ・・・」
「つまり、お前が不器用だって事だ!」
「はぁ〜?なんですか、それ!!失礼な!」

適当に孔蛾ははぐらかす。

「―――あら〜お二人さんもしかして恋人?仲良いわねぇ!いいわ〜若いって」

二人の会話が気になって、後ろの席のオバサンが前を覗く。珍しくって話しかけられたのだ。
このバスは田舎バス。何時も老人と中年の女だらけ。若い男女なんてこの一組だけ。
だからどうしても目立って、そういう風に見られてしまう。

「―――――!」

突然の出来事に春日子はビクッとするも、
横にいる孔蛾は「――え〜やっぱりそう見えます?俺達って!」と笑顔で相手に返していた。
彼は慣れているのだろう・・・こういうのは日頃の接客で。
するとオバサンは「――う〜ん見える、見える!みえるわよ!!」とゲラゲラ笑いながら言う。
更に孔蛾は「――そうなんですよ!俺達恋人なんですよー!もう毎日熱いです!」と嬉しそうに嘘八百をつく。
春日子は、また勝手な事を!ボクは恋人ではありません!!熱くも無いです!と強く言い返してやりたかったが、早起きして疲れているし、
なんかもう一々否定するのも馬鹿らしく思えたので結局「・・・はぁ〜」と窓に映る景色に溜息一つ付いてそのまま無視した。 横では嘘つき孔蛾と後部座席のオバサンが勝手に盛り上がっている。




「―――孔蛾さんって・・・ホント、とんだ嘘つき野郎ですね」

バスを降りた二人は、人気の無い細い一本道路をとぼとぼと歩いていた。

「―――――はぁ?何それ」

孔蛾は地図を片手に、目の前の道をちらちら見ている。
「――うん、ここであっている。後はそのままか・・・」などと独り言を零しながら。

「―――― −一体、何時ボクが孔蛾さんの恋人になったんですか?ウソはやめて下さい」
「―――あ〜いいじゃん、そんなウソぐらい!言うだけはタダなんだからさー。
それにさっきは、ハイそうですと言っておかないとややこしくなるだろ?変に否定したら、
じゃあ〜どういう関係ですかって?なるの!愛想が一番だって!あいうのは。
はい、もーいいだろ?はいはい、これでおしまい」

ウソつかれて怒っている春日子を孔蛾は適当にあしらう。
正直めんどくさい。今彼は、地図と道の確認に忙しいのだ。
彼女の愚痴なんかに付き合っている余裕は無い。

「・・・・・・」

――――この態度、腹立つ。

春日子はムッとした。何故か「孔蛾さんの癖に!」と思った。

「―――――――あ〜あっ、孔蛾さんじゃなくって絵理加先生が良かったです」

嫌味ったらしく春日子がそう呟いた。

「―――!オイ・・・」

春日子のその一言に孔蛾がピクリと反応する。

「ボクは・・・本当は、絵理加先生とお母さんに会いに行く筈だったんです。
でも絵理加先生はお仕事で一緒には行ってはくれません・・・」

――先生は春日子ちゃんと一緒に行ってあげたいけれど、お仕事の都合で行ってあげられません。
春日子は確りと手紙の内容を覚えている。
この文からすれば本当は、春日子は孔蛾ではなく今井と一緒に行くはずだったのだ。
まぁ、本当の本当を言えば、今井は仕事で一緒にいけないなんてまったくのウソ。
自分は病気だし・・・それに、はなから孔蛾と一緒に行かせるつもり。
そんな真実を知らない春日子は「お仕事なら仕方ないなぁ〜」とガッカリしている。

「・・・・・」

―――――――なんだよ、本気で落ち込むなよ。そんなに俺じゃ不満か?
――絵理加先生、絵理加先生って・・・。

孔蛾はあからさまに嫌な顔をしていた。
どうも、ユポもそうだが今井絵理加にも“越えられない壁”を感じる・・・。

「―――――― ―何処かに出かける時、絵理加先生は何時もボクと手を繋いでくれました。
優しくって柔らかい綺麗な手でした。ボクは絵理加先生その手が大好きです。
絵理加先生は孔蛾さんと違って変な嘘ついたりしませんし、孔蛾さんみたいにだらしなくないし、
孔蛾さんみたいに自分勝手じゃないし、孔蛾さんみたにワガママでもありません。
絵理加先生はボクの憧れです、ボクの特別な人です・・・」

春日子は、ふと今井と過ごした日々を思い出す。
―――熱い眩しい夏の日差しの中、一人の若い女性が真っ白な日傘をさして此方に微笑む。
今井だ、今より少し若い今井絵理加。
そして・・・その微笑の先には、まだ幼さが抜け切れていない春日子がいる。
「――――帽子を被らないと駄目よ、春日子ちゃん」と今井が言う。
「―――ごめんなさぁ〜い・・・」と言って春日子はしょんぼりする。
すると今井は、屈んで「――――次からは気をつけましょうね」と何時も以上に優しい口調で注意しながら、
自分の日傘のそっと傾け、傘の中に春日子を入れる。 春日子はニッコリし、「―――はい!絵理加先生」と元気良く返事した。
そうすると、今井はただ静かに優しく微笑んでいた。
―――――――周りには一面に輝く向日葵達。そこは満開に咲き乱れる向日葵畑のど真ん中。
―――その中に佇む今井絵理加という人は、
ルノアールの絵の中かから飛び出したかのような・・・甘美で柔らかく鮮やかな女性だった。
そして、彼女を囲む向日葵たちはゴッボの向日葵で・・・情熱的に眩しくスバ抜けて黄色い。

今は梅雨だけど終われば夏は直ぐ来る。
また・・・あの日のような楽しい夏を自分は過ごせるのだろうか。
最近なんだか、何かが変わりそうで怖い。それは何故か孔蛾かが来てから始まった―― −。
けれど、それが如何してなのかはわからない。わからないのに強引に迫ってくる。それが嫌だ。
ただどうしようもなく春日子は、懐かしさの中に埋もれたかった。
―――そこは、変わることの無い世界だから。

「――オイ、何でもかんでも絵理加先生と俺を比べるな!」

―――――また始まったよ、「絵理加先生」が。

孔蛾はより一層機嫌を悪くる。知らないうちに眉間に皺が寄っている。声も少し荒っぽい。

「―――そうですよね、百点満点の勝負をしたら・・・九十九対一で孔蛾さんの負けですもんね」
「――――――――――オイ!コラ!!そりゃなんの勝負だよ!」
「―――人間としての・・・・・・勝負」
「――――なっ!!」

―――――――――――俺、人間として一点?
―― 一点?
―――ショック過ぎる!!!!!

「・・・・・一点」
「・・・・・」

その後、二人はパタリと口を閉じたが・・・暫くすると突然春日子が口を開いた。
重い口調で。
「―――――――ボクは人一倍お母さんが恋しいしかったです。
皆と違ってボクはお母さんと離ればなれになって暮らしました。
でも絵理加先生がいたから寂しく無かったです。ボクは、ボクは・・施設で育ったんです」

呟くように彼女は、生い立ちを暴露した。

「―――――――――そうか」

―――――――知っている。
――その事実は前に今井から聞いた。とっくに知っている・・・。

孔蛾は素っ気無い様な感じで返した、だが内心は切なくって堪らなかった。

「――絵理加先生は僕の居た施設の先生でした。先生はとても頭がよいので学校の先生よりたくさんの事を教えてくれました。
でも・・・ボクは頭が良い方ではないので難しくって、ちんぷんかんぷんでした。
それでも絵理加先生はボクを見放さず教えてくれました。だからボクはこうして高校に行くことが出来ました・・・・・」

今絵理加が、頭が良いのは当たり前。なんたって大学教授。博士号も持っている。

「―――ボクは絵理加先生が居なかったら、きっと悪い子になっていました。
悪い子になって、惨めで、寂しい人になっていました。ボクは昔、悪い子でした。
悪い子で人に噛み付いたり、暴れたり、人を叩いたりして、ボクよりも小さな子を泣かしたりしていました。
羨ましかったんです。ボクと同じ境遇なのにボクよりも彼らの方がキラキラ輝いて見えて・・・」

――― ―問題児だった彼女の担当は私でした。
孔蛾は今井がそう言っていたのを思い出した。
問題児。
本当にそうだったのだろう。
――人に噛み付いたり、暴れたり、人を叩いたりして、ボクよりも小さな子を泣かしたりしていました。
と春日子の語りからすると、誰とも関わろうとせずその上癇癪を起こしてしまう様な子だったに違いない。
成長するにつれてそんなことは治まり今の様に大人しく律儀な子となったが、
やはり人との関わりは過度に疲れるらしく・・・中学は保健室登校だったという。

「“おやめなさい、貴方も私も皆悲しくなるだけだから”・・・悪い事をする子には必ず絵理加先生はそう言っていました。
その言葉を聞くと、どの子も何かを悟ってピタリと悪さを止めるんです。不思議な呪文です・・・・・。
何時も絵理加先生は優しくって親身でいてくれました・・・なのに、最近なんだか素っ気無いんです。
ボクがカヨ子さんの所に下宿し始めてから段々と手紙や電話の数が減ってしまいました。今ではすっかり音沙汰なしです。
絵理加先生は大学の先生で、そのお仕事が忙しいのだと、ずっと我慢していました。
でも、今回突然・・・複雑な手紙を受け取って、何がなんだか分からなくなってしまいました。
絵理加先生はボクをどうしたいのでしょう?どうして今になって母親に合わせようとするのでしょう?
なんだが、絵理加先生自体がどんな人間なのか分からなくなってきました・・・」
「・・・・・・」

――私が結婚を願うのは、春日子ちゃん自身が、自分で自分を管理できる人間なって欲しいからです。
あの子は私に“依存”しすぎています。直ぐ私を頼る。
病室で今井がそう言っていた。
別に春日子が嫌いで冷たくしている訳ではない。
“自立”の為だ。
―――――――――自立は巣立ち・・・それも愛情。

「―――それに、何なんでしょうか・・・手紙に書いてあった追伸の意味。
変身すべきもの・・・って、ちっともわかりません・・・」

―――グレーゴル・ザムザがある朝、なにか不安な夢から目を覚ますと、
自分が寝床の中で巨大な毒虫に変わっているのを知った。
フランツ・カフカ『変身』より。
春日子ちゃん、貴女は既に変身するべきものになっています。気づきなさい。自覚なさい。

手紙の追伸にはそう書いてあった。
だが、彼女にとってその真意は伝わらず、何の意味を成すのかも考えきれなかった。

「・・・・何時かわかるさ。わからない事は、わかろうと思えば何時かきっとわかる」
「孔蛾さん・・・」
「・・・そうやってわかろうと、わかりたいと思ったからこそ、
人間は地球が丸いということに気づき、宇宙が在るということに気づいた。だからガガーリンは人類初の宇宙飛行に成功した。
まずは、わかろうとする事から全ては始まる。そうだろ?」
「・・・・そうですね」
「だから、何時かわかるさ。その意味が・・・」

細い一本道路を抜けると、二人は田舎町のスナック街にたどり着いた。
しかし、朝なので当たり前だが人がいない。

「・・・・ここにお母さんがいるんですか?」
「・・・地図は嘘つかん」

孔蛾はジャケットの内ポケットからメモ用紙を取り出し、
住所とスナック一軒々を照らし合わせる。
・・・その中から『スナック朱莉』を見つけた。
確か春日子の母親の名前は“朱莉”。メモの記された住所とも一致する。
―――間違いない、目的地はココだ。

「――こっちこい・・・」
「―――?!」

孔蛾はグィと春日子の腕を引っ張り、『スナック朱莉』に駆け寄り扉の前に立った。

「・・・・・ここは?」

春日子は行き成りの事で、何事?といった感じの表情をしている。

「・・・お前のオカンの名前は?」
「――えっ?オカンって・・・?」
「お母さんの名前!」
「――えっ・・・ああ、ボクのお母さんの名前は朱莉です」
「・・・この目の前の置き看板見てみろ、なんて書いてある?」
「・・・・・・スナック朱莉・・・ハッ!朱莉!!」
「そういう事だ」
「・・・・・」

―――――――― −ここにお母さんがいる!ボクのお母さんが!!

自分の母はこの扉の向こうにいる・・・。
――春日子は胸がドクドクと高鳴った。
約七年ぶりの母との再会――――――――――― ―。

―――――――――お母さんに会いたい。
――――お母さんに会って抱きしめてもらいたい。

そして―――優しい声で「春日子」って呼ばれたい。

―――――お母さん・・・お母さん・・お母さん、お母さん!お母さん!!お母さん!!!

「――――――――――――――――おかぁさーん!!!!!!」

―――――――――――――――――――――――― −バタンッ!!!

「――――――――?!!ちょ!春日子!!」

春日子は感極まって目の前の扉を押し開いた―――――――― ―。
孔蛾の止める間も無く・・・。

―――扉は開かれた。
過去と現在を紡ぐ扉。母と娘を紡ぐ扉。あっちとこっちを紡ぐ扉・・・。安い造りの扉。
だが、開かれた扉の先の世界は・・・楽園ではない。
――敷きっぱなし赤い絨毯、何の飾り気の無い黒の六台のテーブルと十二脚の椅子、
天井近くに詰れた小型テレビは朝のニュースを垂れ流していた。チカチカと画面ら漏れる光が鬱陶しい。
そして、素っ気無いカウンターには・・・一人の女がグタリとうつ伏せになっている。

「・・・・・おっ」

―――――――――――あの人がボクのお母さん?

春日子は戸惑った。伏していて女の顔が見えない。
だが店には自分と孔蛾とその女しかいない。該当者は彼女一人だ。
女の垂れた長い髪をぼんやりと見つめながら、春日子は必死に遠い昔の母と彼女を照らし合わせていた。
自分の母も確かこれぐらい髪が長かったはず――― −。
一方、孔蛾は辺りをジロジロ観察していた。

「・・・・・・・くせぇ」

―――――ここは酒とタバコの臭いが混じっていて臭い。

ツンとくる汚臭にグッと顔を顰める。
自分はタバコが嫌いだ。あんな物は純白の肺を汚すだけで何の利益にもならない代物だ。
喫煙しない孔蛾にとってこの室内に漂う匂い正体がなんなのか直ぐわかる。
タバコを吸わない人間はタバコの臭いに敏感なのだ。
春日子も吸わないので、彼女も一発で臭いと感じただろう。
なによりも一緒に混じっている強烈なアルコール臭・・・・・これの主な発生源は女からだ。
証拠ならある、彼女の周りにはゴロゴロと十本近くの空いた酒瓶が無造作に転がっていた。
赤い絨毯の上に横たわる酒瓶・・・・焼酎にワイン、客と飲み明かした代物なのだろうか?
それとも自分一人でコレだけの数を・・・・・だとしたら・・。
――――春日子の母親はキッチンドリンカー、今もそれは変わりないという事なのだろうか?
独身であればただのアルコール中毒者なのだが・・・。

「――――――――誰よ、煩いわねぇ・・・人が折角寝ていたのに」

突如ハスキーな声が響く。
女だ。声の正体は女。女は、伏していた顔をムックリと上げる。
――――女は綺麗だが、それなりに年取っていた。大きな子供一人いてもおかしくない年を。
そして・・・不健康そうだった。昼と夜の逆転生活を送っているせいか?
それとも酒とタバコのせいか?顔色は良さそうにない。
しかし、春日子にとってそれは色濃く残った“面影”だった。
長い髪、酒とタバコの臭い、不健康そうな顔・・・何よりも恋しさを強く感じる。
悲しくもそれらは思い出の中の母とピッタリと一致する。
―――――そう、この女こそ間違いなく春日子の母、朱莉だった。

「――――――――――あんた等・・・・・誰?」と訊ねる朱莉に、
春日子は「――――おっ、おお・・おっ・・お母さん、お母さん・・・・・お母さん!」とおずおず言った。
―――――――感動の親子の対面。しかし・・・朱莉は「―――はぁ?何言ってんの?行き成り・・・」と失笑していた。
歳月とは恐ろしく・・・成長した春日子が自分の娘だと朱莉にはまったく分からないのだ、気づいていない。
そればかりか眉間に皺を寄せて「てか、何勝手に人の店に入ってんのよ!営業時間でもないくせに!警察呼ぶわよ!!」と喚きだした。

「――――!!そんなっ!」

春日子はショックだった。
―――気づいてくれなかった。お母さんはボクを娘だと気づいてくれなかった。
一体・・・ボクは、何の為に同じ柄の服装を何年も着続けたんだろう?何のために・・・。
ああ・・・・・そうか、お母さんははじめからボクの服装のことなんて“これっぽっちも、覚えていなかった”んだ。
これっぽっちも覚えていなくって・・・これっぽっちも気にすら目すら入っていなかったんだ・・・・あははっ・・・
なーんだ、そういう事が・・・そうだよね、だってお母さんは“ボク自体に興味が無いもの”。
これじゃあ、意味ないじゃん!全然意味無い!!目印の意味。なのに、何ボクは・・・ボクはいままで・・・・・・。

自分の思い描いていた母親との再会像は、脆くもガラガラと音を立てて砕け散った。
抱きしめてもらって・・・それから名前を呼んでもらってという感動のフルコースは、味合うことは出来そうに無い。
春日子は気づく、それは自分の“勝手な要望・希望だった”ということに。
――――淡い幻想だったということに。

「―――――――待ってください!警察は!!営業時間でもないのに勝手に入ってしまいスミマセン!!
ですが、僕達は如何してもここに用があって来たんです!失礼ですが、大島朱莉さんですよね?
もし、間違っていたら御免なさい・・・。この僕の隣にいる彼女は大島春日子といいます!
約七年前に貴女が手放した娘さんです!!僕は孔蛾実、彼女の連れです・・・。
僕等は早朝バスに乗って遥々ここまでたどり着きました、それも全部彼女が母親である朱莉さんに再会するが為です!
どうか、お願いです!!彼女を受け入れてください!!!」

――――孔蛾はそう延べると、朱莉に向かってバッ!と頭を深く下げた・・・。
その勢いのある行動は息を呑むようなものだった。
隣にいる春日子は吃驚する。孔蛾がこんな風に頭を下げるなんて・・・はじめて見る。
しかも、それは自分の為に下げてくれている。
春日子は気づいた、“この人(孔蛾)は本気で自分の事が好きで想ってくれている”のだと。はっきりと分かった。
彼が以前「――俺は、“本気”だから」と言った言葉はけしてウソではないと証明されてしまったのである。


「――――――――ちょ・・・ちょっと、やめてよ!頭上げなさいよ・・・何も呼ばないから」

朱莉は突然の孔蛾の行動に唖然した後、怖くなって「頭を上げろ」と要求する。
それに孔蛾は応え、ゆっくりと頭を上げた・・・。


「・・・・・もう一度お聞きします、大島朱莉さんですよね?」
「――――――――ええ、そうよ。だから何?」

朱莉は徐にタバコを取り出し、火を点けて一本吸う。
無意識にタバコを挟んだ手が小刻みに震えていた・・・・。
冷静を装っていたが、激しく動揺していたのだ。
―――――――――――――――予期せぬ再開。嬉しくなかった。
―――――――会いたくなかった。成長した娘なんかに。
――――――――――――――――――――――捨てた娘なんかに。
朱莉は目の前の小柄な少女が、昔自分が置き去りにした娘、春日子であると分かった瞬間・・・・視線を逃げるように外した。
――――――――――――――――見ない間に・・・大きく育っている。

「―――何って・・・」
「――今更会い来て・・・如何しろって言うのよ、恨み言の一つでも言いに来たの?」
「―――――なっ!」

――――恨み言の一つでも言いに来たの?
その言葉に孔蛾は引いた・・・・・。春日子は強張っていた。
しかし考えてみればそうだろう、この女は我が子を “捨てた”のだ・・・自分が子供に恨まれていると思うのは自然の事だ。
しかし、皮肉だ。当の春日子自身は母親を恨んだ事は“一度も無い”というのに・・・・。
―――――――――――母、朱莉は長年薄々と恐れていたのである。
――何時か捨てた己の子が仕替えしに来るのではないかと・・・・。
――――――だから、会いたくなかった。


「―――違う!!!
ボッ、ボクは!ボクはお母さんに恨み言をなんかを言いに来たんじゃありません!!
ただ・・・・ただボクは如何してもお母さんに会いたかっただけ!
お母さんが恋しくって・・・恋しくってだから如何しても・・・抱きしめて欲しくって!!」

春日子は朱莉の言葉を強く否定し、自分の思いの丈を打ち明けてぶつける。
―――――――言った・・・言ったぞ、ボクはついに言ってしまったぞ!
緊張で体が微かに震える。心臓の鼓動がバクバク鳴る・・・。
この答えに対して母はなんと答えてくれるだろうか?これだけの気持ちを伝えたのだ。
ほんの僅かでもいい、きっと応えてくれるはず・・・・。
春日子は淡い希望を抱く・・・・しかし、返ってくる返事は残酷だった。

「――――――――――――――――知らないわよ」

―――母が春日子に返してきた返事、それは“他人事”の様な返事だった。
まるっきり相手してないような・・・・そんな感じの。興味ないみたいな。兎に角、冷たい。

「――――???!」
「――――――――知らない」

春日子は愕然とした、今までの熱い気持ちが・・・息苦しくなった。
勢いある自分と違って淡々と喋った朱莉。
――――ちっともあの頃と変わってない。自分を置き去りにしたあの頃とちっとも。何一つ。
あの頃、自分を何日も置いて出て行く母親に泣いて縋った、
「―――――――−お母さん・・・お母さん何処へ行くの?置いてかないで!置いてかないで!」と言って。
しかし母は「――五月蝿いわね!あんたには関係ないでしょ!!」とヒステリックに怒鳴った。
それでも「――嫌だ!!ヤダ!行かないで!やだぁああああっ!!」と叫んで母の足を強く掴んだ。
すると母は「――痛っ!なにすんのよ!!そんなに力込めて掴んだら足痛いじゃない!!馬鹿!」と叫んで・・・
テーブルに置いてあったステンレスの灰皿を掴み、それで自分(春日子)の頭を思いっきり殴った。
―――ガン!という音が部屋に響いた。あまりの痛さに「――いだぁあああああっ!!!」と
悲鳴を上げたのはよく覚えている。たらたらと赤い血が垂れていた。
それでも母は悪いと思った様子もなく、「―――あんたが邪魔するからそうなるのよ、ほんと“迷惑”な子」と言って、
あっけなく出て行った・・・。残された部屋には怪我をして泣き喚く自分と、着飾って出て行った母の仄かな香水の香りだけだった。

「――――――どうして・・・・」

春日子は失望の余り・・・ポツリとそう独り言を洩らす。

―――――――――――どうして?どうしてお母さん・・・どうしてそんな事を言うの?

――君は・・・本当は男の子なんだよ。でも悪い奴に魔法をかけられているから今は女の子になっているんだよ。
その悪い奴の魔法のせいで君が女の子になっているから、お母さんがいなくなってしまったんだよ。
でも魔法が解けたらお母さんは必ず迎えに来てくれるよ。

春日子は魔法使いユポの言葉を思い出す・・・・。
―――――――ああそうか、きっとこれもボクが悪い魔法のせいで女に子になっているからなんだ・・・。
だからお母さんはこんなに冷たくって酷いんだ・・・だから毎日置き去りにされたんだ。
そうだ・・・きっとそうなんだ・・・・ボクが“女の子だから”。

「――――――お母さん、ボクが女の子だから!?ボクが女の子だからそんな風なの!?
ボクが女の子だから邪魔なの!?迷惑なの!?要らなかったの!!?」

―――声を荒げて春日子はそう問い詰める。
すると朱莉は「――――――――――そうよ」と素っ気無く返した。

―――――――――――そうよ、この子が男だったら、私はあの男に捨てられなかった。
――この子が男の子だったら金ずるになって・・・もうちょっと可愛がってやれたかもしれない。
お荷物じゃなかったかもしれない。鬱陶しいとも思わなかったかもしれない。
――――憎かった、悔しかった。この子が生まれたとき「――何で男の子じゃないの!?」と気が狂いそうになった。
産んだ意味ないじゃん!と思った。
健診では男と言われた。なのに、生まれてきたのは完璧に女だった。
産んで赤ん坊を取り上げられた瞬間、「――元気な女の子ですよ」と言われた。
その時私は「えっ、なんで?」と声を洩らした。「うそでしょ?何かの間違いよ」と泣き崩れた。
私は男の子を産んで、その子をだしに丸ノ内の財産を食いつぶしてやるつもりだった。
正妻に勝ちたかった、愛人だと罵られて終わるのが悔しかったから。
―――でも、私が産んだのは女の子。
隠すわけにも行かず、電話で丸ノ内に女を産んだと渋々告げた。
すると丸ノ内は「―――女はいらない。跡継ぎには冬日子がいるからいい、女を持つお前はお荷物だ」と言った。
ついでに「生まれた子供には“父は死んだ”と言っておけ」とも。丸ノ内は私をあっさり捨てた。
自分の子の顔も見ないで。それから一切連絡が取れなくなった。
最低限の配慮として、認知と手切れ金一千万だけ残してくれた。勝負に負けた私は快楽を求めて酒と男に溺れた。
邪魔な我が子はペット以下にして、ないがしろにしていた。時にはストレス解消の道具にもしていた。
でも気が付けば娘は保護され施設に取り上げられ、世間から“虐待”だと騒がれた。それでも私はまったくかまわなかった。
寧ろ邪魔なお荷物がいなくなってくれて清々していた。
そして手切れ金を元にこのスナックを始めた。店のママとして自分のやりたい様に生きてきた。
――――――――なのに、今更現れるなんて・・・卑怯よ。
――如何しろっていうのよ!?抱きしめて欲しいですって!?やめてよ!!冗談じゃない!
だって・・・・だって、だって・・・・・私は“親に一度も抱きしめられたことなんてない、だから抱きしめるなんて事知らない!
知らないから出来ない!!”出来るわけ無いじゃあない・・・。

――――――――――――――虐待は虐待を繰り返す。
母、朱莉もまた虐待児の一人だったのだ・・・。
自分は普通の愛情という物を知らずに育った・・・だから分からなかった、子供と如何接していいのか。
だから自分の知っている方法をとった。簡単な事だ、親の真似をした。
悲しくも世間はそういうものだった・・・・。

「―――――――ボクは魔法にかかっているんです!!だからボクの魔法が解けたらボクは男の子に戻れるんです!!
ボクは、本当は男の子なんです!そしたらあなたはボクを迎えに来てくれるんですよね!?
だからお願いお母さん!男の子に戻ればボクを愛してくれますか!?抱きしめてくれますかぁあっ!?」

―――――――――――――女の子が駄目でも男の子だったら受け入れてくれるかもしれない。
春日子は儚い望みをまだ抱いていた。しかし、儚いものは儚い・・・直ぐに消えていく。
朱莉は春日子の言ったことに「―――はぁ?何それ本気?」と呆れた。
「―――――本気です!!」と言い返すと「――――あんた、馬鹿ね・・・今更よ!今更あんたが男なんて意味ないのよ!
無意味よ!!何の得にもならない!もう遅いのよ!男でも迷惑よ。邪魔よ!抱きしめたりなんかしないわよ!
暑苦しい鬱陶しい!言っとくけど魔法とか何幼稚な事言っているのよ!
何がボクは、本当は男の子なんです!っよ、教えてやるわよ、“魔法なんてあんたにはかかっちゃいない!!”
あんたを産んだ私が証明してあげる!あんたは“120パーセント女よ!”
あんたを産んで取り上げた時「――元気な女の子ですよ」と言われたわ!!だからもちろん戸籍も女!子供も産める!どう!?
これじゃ、“本当は男の子”何てこと言えないじゃない!だって、“元々女”なんだもん!!如何頑張ったって元が女!
なのに、如何して魔法が解けたら男に戻るのよ?おかしいじゃない。矛盾以前の問題よ!女が女になる魔法にかかって如何するの?
同じじゃない!だからあんたは魔法になってかかってない!!ただの女よ!馬鹿な子・・・私はあんたを捨てた。
だから、あんたが男だろうが女だろうが“一生迎えには来ない”わ!」と罵られた。

「――――――――――――――!!!!!ただの・・・女・・・。捨てた・・・」

春日子は愕然とした。そして戦慄した。
自分の中の自分の常識が砕け散って、深く赤く滾るマグマの中に落ちていく。
今にも気がおかしくなってしまいそうになる。
――――自分は魔法になんかかかっちゃいなかった・・・・。
――女・・・女・・・女。自分を生んだ母親がそう言うのだから間違いない。
自分は元から既に女・・・なのに魔法で女に成るはずがない。
だから魔法が解けて男に戻るなんことは決してあり得ない。納得の事実。

―――――――――――――――そうかボクは、はじめから“女”だったんだ・・・。
―――ボクは、本当は男の子・・・ではなく、ボクは本当に女の子と言わなくてはいけないんだ。

春日子は今更知った。“自分は、本当は女”だったのだと。
そして母親の強烈な“一生迎えには来ない”という言葉に強烈なショックを受ける。
男でも女でも一生母親は迎えに来てくれない。
――君は・・・本当は男の子なんだよ。でも悪い奴に魔法をかけられているから今は女の子になっているんだよ。
その悪い奴の魔法のせいで君が女の子になっているから、お母さんがいなくなってしまったんだよ。
でも魔法が解けたらお母さんは必ず迎えに来てくれるよ。
ずっと魔法使いユポのこの話を信じて生きてきた。これを心の支えにただひたすら待っていた。
でも、―――――――――魔法になんか、かかってなかった。
自分は端から女でこのまま女のまま。性別が如何あれ母は一生迎えに来ない。
ユポの言葉はウソで塗り固められた、真実を塞ぐ壁だった。
――――この約七年間、何の為にあったの?と言いたくなる。
よくもまぁ、こんな馬鹿らしい事を信じてきたものだ。

「―――――――――お母さん、酷い!・・・酷いよ!!酷いよォ――!!!」

感情が高ぶった春日子が勢い良く朱莉に飛び掛ろうとする!それを「―――春日子!!」と叫んで孔蛾が羽交い絞めにしておさえる。
それでも春日子は涙を流しながら暴れ、
「―――酷い!酷い!酷い!酷い!酷い!酷い!!酷い!酷い!酷い!!酷い!酷い!酷い!」と朱莉を責める。

「―――――――――――――五月蝿い子ね、本当の事言っただけじゃない」

――朱莉は冷静だった。いや、冷静と言うより・・・“冷淡”だった。

「・・・・・まったく・・・こっちは困り果てるわ。こうも立て続けに来られちゃ。
この前もアンタの後見人とかいう女が行き成り来て、
書類の手続きとか色々しろって要求してきたし・・・・・あの女は持ってきた書類にさっさと書いてやったらとっとと帰ってくれたけど」
朱莉はそう言うと「――――フゥ〜」と口から煙を吐き、
短くなったタバコをグリグリと灰皿に押し付け、ポイと中に捨てた。

――――――――――後見人とかいう女・・・・後見人・・・絵理加先生!?絵理加先生だ!

泣き喚いて暴れていた春日子の動きが急にピタリと止まる――― −。

―――この前もアンタの後見人とかいう女が行き成り来て、
書類の手続きとか色々しろって要求してきたし・・・・・。
春日子は今言った朱莉の言葉をもう一度思い出す。

―――――間違いない・・・ボクの後見人は絵理加先生!来たんだ、絵理加先生ここに・・・ボクのお母さんの所に。
でも絵理加先生は何しに来たんだろう?書類って一体?
・・・・・・ここに来るならボクもその時一緒に連れて行ってくれればよかったのに。
そしたら、一緒に行けたのに・・・。ボクが居ちゃいけない内容の事だったのかなぁ。
わかんないよ・・・・・・絵理加先生。

困惑する春日子、しかしその謎を朱莉に訊ねたとしてもけして彼女は答えてはくれない。
何故ならば“口止めされている”から。
朱莉は今井に会った時、「この書類に必要事項を記入して、そうすれば私は直ぐに帰る。
そして・・・貴女が記入したこの書類については“誰にも、例外なく誰にも”言わないで下さい。
もちろん、私がここに何しに来たかも・・・。お願いします」と言われ、同時に結構な金を握らされた。
朱莉は「・・・・口止め料ね」と呆れながらも金をしっかり受け取った。
書類も記入した。見返りを受け取ったからには約束を守らなくてはいけない。
だから朱莉は書類のことも、何しに今井が会いに来たかも一切“誰にも、例外なく誰にも”言わない。
―――ちなみに何しに今井が朱莉の元へやって来たか、
それは春日子の結婚の為に必要な書類記入埋めの為である。

春日子は「―――――何しに絵理加先生・・・ボクの後見人はここへ!?」と訊ねる。
しかし朱莉は「――あああああああっ!!鬱陶しい!!!!黙れっ!」と怒鳴り質問を遮って無視する。
そうする事で自分は一切何一つ答えないのだと、答える積りはないのだと相手にわからせる。
その効果は覿面で、迫力負けした春日子は怯んで黙る。質問することを諦めた。

「・・・・・タバコが切れた」

朱莉は独り言を呟くと立ち上がり、のろのろとドアに向かってくる。
孔蛾はすれ違い様に「―――待ってください!」と呼び止めるも「――さっさと帰ってよ」と返されてしまう。
堪らず孔蛾は「―――――――逃げてないで向き合ってください!!あなた母親でしょう!抱きしめてやってください!!
そんな事もしてやらないんですかですか!」と朱莉に言い放った。

「―――――――なっ!他人は黙ってて!!」

しかし・・・孔蛾のこの発言は朱莉とってタブーだった。
“あなた母親でしょう!抱きしめてやってください!!
そんな事もしてやらないんですかですか!”

――――――――――――――“してやらない”じゃないのよ、“出来ない”のよ!!

朱莉はカッとなる。
そしてそれに追い討ちを掛けるように春日子が切ない声で「―――お母さん!お母さん!!」と連呼し、縋る様な視線を向ける。
――――親の愛を求めてくる。

―――――――――ああああああっ!鬱陶しい!!なんなのその顔!その目!
―――鬱陶しい!鬱陶しい!鬱陶しい!
―――――――――――――――――――――どうしてもこの子を見ると“苛々する”。
――――――――――昔の自分を見ているようで、堪らなく嫌!!

「――――見るな!!!!!」

―――沸き滾る、突発的な腹立。

朱莉は側のテーブルに置いてあるステンレスの灰皿を握り締め、
それを春日子の頭に向かって振り下ろす!

「――っ!?」

――――――――――――――――灰皿!!

春日子は身震いする・・・・。

――――――――この灰皿、あの時と同じやつだ!

偶然にも今朱莉が振り下ろしている灰皿は・・・・昔春日子が打たれた灰皿とまったく同じ灰皿だった。
―――――皮肉だ、また同じ物で同じ仕打ちを受ける。そんな事がこの瞬間繰り返されそうとしていた。
だが、その瞬間を一人の男が防いだ。
――――――――――――――――――孔蛾が。

「―――――――――春日子っ!!」
「―――――孔蛾さん?!」
「――!?」

―――――ガン!!

「――――――――っ!!」

朱莉の振り下ろした灰皿を、春日子の代わりに孔蛾が受けていた――‐。
ガン!!という鈍い音と同時に孔蛾の額から血が勢い良く湧き出していた。
――孔蛾は春日子を庇った。いや“守った”。

「――――――――いゃぁああああっ!!孔蛾さん!」

春日子は、孔蛾からドロドロと流れる鮮やかな血液に怯え、半分パニックになっている。
春日子を打つ積りが、予想外に孔蛾を打ってしまった朱莉は「−―――っ!!」と驚き強張った。
が、カンッ!と灰皿を床に叩きつけ、「―――――いい加減にしてよ、他人の癖に・・・!」と吐く。
そして苦い顔して外へ出て行った。床に捨てられた灰皿には、孔蛾の血飛沫が付いている・・・・・。

「・・・・・・孔蛾さん」

震えた声で春日子が孔蛾を呼ぶ。
孔蛾は何も言葉を発せず、ただ辛そうに血が溢れる額の傷口を手できつく押さえていた。

――――――――――っいってぇえええええええっ!!!いてぇーよ!痛ぇ!!

というか、悶えていた。

「・・・これ、これで押さえてください!」

春日子はオロオロしながらも、自分の鞄から水色のハンカチを取り出し、怪我した孔蛾の額を押さえようと手を伸ばした・・・。
すると孔蛾は「――――――――馬鹿!そんな暇あるか、追うぞ!!お前の母ちゃん!」と怒鳴り、
伸ばした春日子の手を掴んでそのまま外へ出る!
春日子は「―――えっ!?えっ、えっええっ!!?」と戸惑いながらも黙って従った。
外は―――――――――サァアアアッ・・・と何時しか小雨が降っていた。
二人は雨に濡れながら、既に遠のいている朱莉の背中を必死で追う。
朱莉はその気配に気づくと、ピタリと足音を止め嫌な顔して後ろを振り向いた。
そして「―――――――――――しつこいわよ」と一言。
――彼女も雨に濡れていた。傘をさしていない。
それに対して孔蛾は「―――抱きしめて遣れないなら、せめて名前を呼んであげたらどうですか!
あなたこの子の名前忘れたわけじゃないでしょ?親なんだから!」と責めるように言う。

「―――――――名前をですって?」
「――そうだ!呼んで遣れ!!」
「―――――――――――――――嫌よ」
「――なっ!」
「―――だって・・・」
「――だって?」
「―――だって・・・だって、だって」
「――だって何だ?」
「――――だって・・・」

――――――――呼ぶ資格ない。アタシに自分の子を呼ぶ資格はない。
――だって“親失格”だから。

「―――――――だって・・・可愛くないから」
「―――――――――――――――なっ!!お前っ!お前なんだそれぇ!!!お前!」
「―――仕方ないじゃない、本当の事なんだから・・・。
可愛くないの、この子を見ているとただイライラするのだけ」
「―――!!」

―――――――――――この女は一体何を考えているんだ!自分の子を可愛くないからって!
――だから名前も呼んであげないなんて!!!
犬猫ペットとでも呼ぶだろうに、人間を、しかも我が子を呼んであげないなんて!!信じられん!
それに・・・それにこの子がどんな思いを抱いてここまで遣って来たか事か!

「―――――――――――――ふざけるな!!!!!いい加減にしろよ!
なんだ、その答えは!アンタわかってんのか!?今日までこの子が、一体どんな思いをして暮らしてきたか!?
全部“お母さんの事だけ”を考えて生きてきた様なものなんだぞ!!毎日々アンタの事を想って日々を過ごしてきたんだ!
ただアンタの温もりだけを夢見て健気に頑張ってきたんだよォ!!
いいか、アンタはこの子は捨てたかも知れないけど、この子はアンタを捨てちゃいない!その事だけは忘れるなよっ!!
なのに・・・なのに、アンタは知らん振り!まるで他人事の様な振る舞い!
一体この子が何をしたって言うんだ!何を!何にもしていないじゃないか!!何にも、何にも!
何にも悪いことなんて、これっぽちもしちゃいない!そうだろう!?寧ろ、善い子だ!!凄く可愛くって善い子だ!
そんな善い子を、理不尽な理由で傷つけて捨てたアンタは最低の最低だ!!鬼だ!そんなアンタを俺は“哀れ”と思うよ!!」

孔蛾はついに憤慨した。口から次々と言葉が溢れ出てしまう。
自分は他人、ここまで言ってしまう権利はもちろん何処にもない。自分勝手な行動だ。
だが、人間には“怒り”という感情があり、また“我慢の限界”というのもある。
正義感の強い彼は・・・・・それを如何しても抑えることが出来なかった。

―――――― ―大変失礼な事だとは分かっている、だが、如何しても言わせてくれ!

「―――――――――――――――お前それでも親か!!それでも母親か!!!!!」
「―――――――知らないわよ!!!そんなの!!
もうとっくに親でも母親でもないわよ!親権喪失しているんだから!!」

怒気を身に纏った孔蛾は刺すような眼差しで朱莉を睨む・・・・射殺す。
・・・・・・朱莉は瞬時に目を逸らした。
何故だろう?それは無意識に“罪悪”を感じているからだろうか?
それとも、人間の条件反射で単に孔蛾に恐怖を覚え“怖いから”なのか?
だが、そんな事・・・当の朱莉にも分からない。
逸らした目の先には偶然にも春日子の顔が映った。

「・・・・・・・・なによ、その眼」

春日子の大きな眼は自分の目と違って濁っておらず、全く清らかで美しく澄んで瑞々しかった。
・・・・同じ血が流れる母と娘だというのに・・・親子だというのに、この違いは何だ?
――朱莉の中から嫉妬が芽生える。

―――――――――――――――アタシは親に捨てられた。だからアタシも子供を捨てた。
――――――――そしたら親であることを取り上げられた。アタシもアタシの親と同じになった。
アタシの子はアタシと同じになった。親でありながら親であることを喪失された親を持つ子に。
―――――――――――――嗚呼、この子を何時見ても苛々する。
――付き纏う影の様で、アタシから離れてくれない!!

「―――――――――産むんじゃなかった、“産まなきゃよかった!!”アンタなんかを産んだせいで私の人生計画台無しよ!
こんな可愛くない邪魔で迷惑で苛々する子! だいたい・・・アンタだって私みたいな親から生まれたくなかったでしょ?
こんな親から生まれてこなければよかったでしょ!?可哀想な目に合わされて!お互い様じゃない!」
「――――!!」

朱莉は春日子を怨みったらしく睨み、罵声を浴びせた。
それを聞いている孔蛾は拳をきつく握り怒りに堪えていた。手を出せば負け・・・。
殴ればきっと、おさまらない。警察沙汰にするわけにはいかない。
それに・・・・・腐っても春日子の親、殴りたくないし・・・目の前で親が殴られる所を見せたくない。
孔蛾はギリギリと歯を食いしばる。
突然罵られた春日子も怒りを覚えている、そして・・・それを口に出して爆発させた――― −
「―――――――――――――ちがぅぅうううっ!!違う!
そんなこと思っていない!思ってはいません!お母さん!お母さん!!ボクはお母さんが好きです!
どんなにお母さんがボクを嫌いでも、ボクはお母さんが好きです!恋しいです!!
お母さんはボクを産んで、ボクが生まれてきて、嬉しくない・・・幸せじゃないかもしれないけど、
ボクは自分が生まれてきて嬉しかったです!幸せです!!だから生まれたくなかったでしょ?なんて言わないで!!
可哀想なんて言わないで!お母さん!」と。

―――――春日子の怒りの種は“否定”だった。
産まなきゃよかっただの邪魔だのと散々罵られておきながら、春日子はそんな事は咎めもせず・・・ただ、
「・・・アンタだって私みたいな親から生まれたくなかったでしょ?こんな親から生まれてこなければよかったでしょ!? 可哀想な目に合わされて!」と勝手に自分の生まれを不幸呼ばわりされるのが許せなかった、
そして「お互い様じゃない!」と“一緒にされる”のも嫌だった。
一緒にしないで欲しい!自分幸せだと、可哀想なんかじゃないと、生まれてきて幸せだと言い返して否定してやりたかった。
なによりも産んだ自分の子が、自分の誕生を哀れみ後悔しているなどと思って欲しくなかった!!

―――――――――ただ、それが・・・・・堪らなく悲しいと思えるから。互いに。

「―――――なっ?!」

予想外の春日子の叫びに、朱莉は鳩が豆鉄砲を食らったかのように驚き唖然としている。

「――――――春日子おまえっ!」

孔蛾も同様に。

「・・・・・お母さん、」

―――――――――――――それに、どうしてもボクはこの気持ちを言いたいから・・・。

「産んでくれて有難う!ボクを産んでくれて有難う!!五体満足に生んでくれて有難う!有難う!!
ありがとううううぅっ――――!!!お母さーん!!お母さーん!!お母さーん!!有難う!」

―――――――――“感謝の気持ち”を。
――――――――この世に産み落としてくれた事への感謝、母に感謝を。

―――――――――お母さんに会ったら、ずっとずっとずーっとこれだけは言いたかった。
他の全てが言えなくっても、これだけは絶対に言いたかった。如何してもこれだけは。
寧ろ言わなくってはいけなかった。

―――――――――――――――恨みではなく、感謝を。

「―――――――有難う・・・本当に、お母さん」

――――――――――――――――――――ただ、感謝を。伝えたかった。

春日子は涙を溢れさせながら、母への感謝の気持ちを浴びせる。
そんな春日子に孔蛾は切ない気持ちで一杯だった。
なんていって言っていいのか分からないぐらい、彼女に掛ける言葉が出てこない。
顔がツンと熱くなって、目頭を押さえた。
――――――この子は何処までも健気だ!健気過ぎる!!そして寛大だ。
何処までも涙ぐましい春日子に、今にも泣いてしまいたくなる。
これで心打たれない人間などいるものか・・・親ならば泣き崩れてしまうに違いない。
だけれども、

「・・・・・・・・迷惑よ、そうやって勝手に感謝されても。気持ち悪いしィ」

親の朱莉は冷めた目をしてそう言う。
孔蛾はその目を見てこう言い放った、
「――――――――――――アンタ、本当に哀れな人間だ。つくづく思うよ。
俺、今気づいたよ。やっぱり可哀想なんだな・・・アンタ。
“自分が愛された事ないから、愛し方が分からないんだ”。
だからアンタはそんな目をしている・・・・この子から今“愛を貰った”事に気づいていない。
知らないから気づかない・・・いや、気づけない。
だからこの子の愛に戸惑う事すら出来ず、それ(愛)がなんなのか分からぬゆえ冷えた目をする。
人間にとって、知らない物(未知)が迫る事は恐怖であり、恐怖は警戒の対象。だからアンタは愛を警戒した。
それは本能で仕方のないことだろう。
だが―――アンタはその恐怖ゆえ、未知(愛)が何なのか理解しようとも調べようともしない高慢な人間でもある。
同情できんよ、そこは。そんな・・・アンタに一つ教えておいてやるよ、
“有難うと言われたら、如何いたしまして”と返事の挨拶するもんさ・・・・」と。わびしい顔で。
すると朱莉は憎らしい口調で「―――――――――――如何いたしまして。これで満足?」と言った。

・・・・・・・・朱莉はくるりと後ろを向いて、また歩き出した。

「――――お母さん!」

――――――――――――ザァァァアアアアアアアアアアッ――!!!!!
小降りだった雨が・・・一気に強い雨へと変貌している。

「―――――――――――お母さん――っ!行かないでぇ!!お母さん!」

―――――――――――――――捨てないで!また一人にしないで!!

遠のく母の背中に春日子は恐怖を思い出す。またあっけなく何処かへ行ってしまう・・・。
このままだと二度と母に触れられない。
――――――――お母さんがボクを抱きしめてくれないなら、“ボクがお母さんを抱きしめる。”
気が付けば春日子は朱莉に向かって――――ダッ!!と勢い良く駆け出していた。
――だが、

「――――っ?!あっ!!!」

―――――――――ドン!ビシャ!!ビチョ・・・。

後一歩で母の後ろ袖を掴めるというところで、水溜りに気づかず滑ってこけてしまった。

――――――――――――ザァァァアアアアアアアアアアッ――!!!!!

「・・・・おかぁ・・・さん」

転んでも母は振り返ってくれない。母の背中は、そのまま消えていくように遠くなって行く。
――――――――――――――――――――――また捨てられた。お母さんに。

「――――――春日子!」

孔蛾はズボンの裾が濡れてゆくのも気にせず、水溜りの中をピシャビシャと音立てて入ってゆく。
そして「・・・大丈夫か?」と言ってこけた春日子を起き上がらせる。
立ち上がった春日子は何も言わず、ただ項垂れてヒクヒクと泣いていた。


「春日子・・・・」

衝動的に孔蛾は春日子を後ろから強く抱きしめる。

「・・・・お母さん」
「―――春日子!」
「・・・・・・お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!
お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!
お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!お母さん!!お母さん!!」

春日子は涙を溢れさせながら、恋しい母の名を何度も何度も呼んで叫んだ。

「――――春日子もういいっ!!よせ!もう呼ぶな、呼ぶんじゃない!喉を痛めるだけだ!!」
「―――――――でも!呼ばないとお母さんは振り向いてくれない!!戻って来てくれない!」
「――――振り向かない!戻って来ない!!」
「―――なんでぇ!!」
「――――――――幾ら呼んでも戻って来ないんだ!あの人には“届かない”から!」
「―――――――どうして!?如何して届かないんですか!?
もっと声を張れば届きますか!?もっと大きな声で叫べば届きますか!?」
「―――――――違う!無駄さ・・・・無駄なんだ、お前がどんなに大きな声で叫んでも。
聞えないふりをされるだけだ・・・・・・・無駄なんだ」
「――――何で?」
「―だって・・・・あの人は酷く“鈍感”だから」
「―――そうか・・・・ボクのお母さんは・・・・・“ボクと同じで鈍感”なのか」
「―――――そうだ、だからお母さんの代わりに“俺が春日子を抱きしめているよ”」
「――――そうか・・・だからボクの体は温かいのか・・・」
「―――ああ、そうだよ・・・“これからもずっと君だけを抱きしめる”」

何時しか孔蛾も泣いていた。

――――――――――――――少女は温もりを求めていただけではなかった。
――――――――――――――――――――少女は温もりを与えたかった。
―――――――――――そして、少女のその両方を・・・青年が叶えてくれた。





「お母さーん――――――――――――――――――――――――――――――!」


春日子の悲痛の叫びが最後こだまする。
しかし、振り絞った声は無情にもザァァァアアアアッ――!!!!!と雨に打ち消された。
彼女は叫んだ。届かないと分かっても。“ただ、お母さんにお母さんと呼びたかった”から。



皆、何時か我が身滅ぶるというのに・・・誰かの温もりを求めようとする。
そうだ・・・きっとそれは本能で“独りにさせない為”なのだろう。

―――――――――――――――何故ならば、人は独りでは生きていけないから。

それが結論なら、温もりは太陽だろう・・・眩しい黄色い向日葵だろう・・・。
ただ一つ訊く、あなたの太陽はあなたを照らすか?

・・・・・・・・確かめてごらん、そっと空を仰ぎ見て。







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