前頭連合野/46野のORIGINAL NOVEL

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※著作権は前頭連合野/46野の管理人、怪物の顔(鮭)にあります。





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「ほんと何時見ても怖ぇ〜な、ここ・・・」

喫茶店、ミューズに着いた彼の第一声はコレだった。
変にくすんで曇っているガラス窓。
茶褐色をしたレンガの外壁は、怖いくらい蔦がおぞおぞと生い茂って這っている。
何処からかビュービューと風が吹きギイギイと音がする。「何だ?」と孔蛾は上を見上げた。
――――― −これヤバくねぇ?
風に吹かれ、傷んで錆びた屋上の鉄柵が、今にも外れそうなぐらい大きくうねって歪んでいた。
この柵、何時落ちてもおかしくない。
――――― −どうか、俺の頭に落ちてきませんように・・・・。
そう彼はお願い事をし、苦笑いをする。
そして、営業中と書かれたプレートを吊り下げているドアノブを思いっきり引いた。
カランカラン♪というベルが鳴り、パタンとドアが閉まる。






***







中は外と違って時間が生きていた。
外見はあんなにも空っぽで、時間が止まって見えたのに中身は時間が生きて動いている。
どうも、ごく普通に営業しているのだ。
店内はクラシックな造りで昭和喫茶と言った感じ。
橙色の灯かりが全てを包み、古ぼけたレコード・プレイヤーが江利チエミのテネシーワルツを奏でていた。
店には客が二人しかいない。そう、たった二人。一人は若い女性。先客。一番奥の21番テーブル座っている。
もう一人は孔蛾。ぼーっと突っ立っている。後からやって来た客。
先客は孔蛾に「こちらへおいでなさい」と声をかけ、孔蛾に向かって小さく手を招く。
孔蛾は「もしやこの人が・・・・」と思い、
小走りで21番テーブルに駆け寄ると「あなたが今井絵理加?」と訊ねた。
すると先客は「さん」の二文字を言い返す。


「へっ?」
「さん」
「えっ?」
「さん、今井絵理加さん。ちゃんと"さん"を付けなさい。呼び捨てはおやめなさい。失礼でしょ?」
「!あっ、ああ・・なるほど」

孔蛾はそういう事かと理解すると、改めて今度は「今井絵理加さんですか?」と"さん"を付けて訊ねた。
すると「はい」と、すました顔でそう先客は返事をする。
これで彼女があの手紙の差出人、今井絵理加であることがわかった。

「まあ、お座りなさい」
「あ、はい・・・」
今井にうながされ、孔蛾は席に腰掛ける。
「突然手紙を出し、あなたを呼び出してしまい・・・すみません」
「いえ・・・」
「どうしても、あなたと一度お会いしたかったものですから・・・」

今井絵理加なる人物は品のある空気を漂わせる人物だ。それにスラリと細くて美人。
黒く長い髪は波立ってうねり、微かに薬品の香りがする。
着ている淡い黄色のコートとシフォン素材のワンピースからも。
側に置いてある杖は彼女の物であろう、純銀製でワニの口から薔薇の花たちが生えているなんとも奇抜なデザインが施された杖。
とても古めかしい感じがする。アンティーク物の様だ。
・・・杖を所持しているということは・・・足腰が悪いということなのだろうか。

「いったい、俺に何の用です?」

孔蛾は苦い顔をしてそう聞くと、
今井は「話が長くなりそうだから、コーヒーでも頼みましょう」とニッと笑って言う。
「そうですか・・・はい」と孔蛾はまた苦い顔をする。
どうも、
―――― ―この女とは気が合いそうもない。
という感情を、孔蛾は隠しきれないでいた。直ぐ顔に出るタイプ。

「コーヒー二つ下さい」

今井がカウンターに向かってコーヒーを注文すると、しばらく何の返事も聞こえなかったが、
カウンターの奥から藤村俊二似のマスターらしき老人がトレーにコーヒー二つ載せてやってきた。
歳のせいか、トレーを持つ手が小刻みに震えている。途中落としてしまいはしないかと不安だ。
「・・・・どうぞ」
無時たどり着いたマスターは白いコーヒーカップをテーブルに置く。
だが、手の震えはノンストップなので置いたコーヒーの半分以上が零れた。
まるで志村け○のコントのようだ。
正直「やりやがったな」と孔蛾は思った。
今井は顔色一つ変えず冷静でいる。
世界地図柄をしたテーブルを零れたコーヒーは汚していく、そしてブラジルを覆い隠した・・・・。
しかしマスターは何も気に求めず、
「 ―― −では、ごゆっくり」と言ってお辞儀をすると、何事も無かったかのよう奥のカウンターへと戻っていった。兵だ。

「あなたに用と言うより、お願いがあってお呼びしました」

殆ど入っていないコーヒーを口に含むと、今井は真剣な顔をしてそう口を開いた。

「おねがい?」

そんな今井に孔蛾は訝しげな表情を返す。

「でも、その前に確認させてください」
「はぁ?何を?」

回りくどい様なことばっかりで、孔蛾は少しイライラしてきた。
気持ちを静めようとコーヒー(殆ど入っていない)を飲み出す。

「彼女いるの?それと、ちゃんと女性を愛せる?」
「!!―― ―ブペぇ!」

今井からの突飛な質問に思わず、孔蛾は口に含んだコーヒーを吐いてカップに液体を戻す。
下品だ・・・・。
その後カハッ!と変な咳を出だし、「なんですか行き成り!」と怒鳴るも、
今井は「大事なことなんです!答えて!」と凄みのある表情で迫る。
孔蛾はそれに迫力負けしてしまった。

「いっ、いませんよ!彼女はいませんよ!」
「女性を愛せる?もちろん女性だけよ!愛せるのは」
「当たり前だろーがっ!!俺は女しか愛せねぇーよ!」
孔蛾は顔を真っ赤にして答える。

「よかった・・・」

この孔蛾の反応に、今井は胸を押さえホッとする。

「これ何の確認!?」と孔蛾が突っ込むと、今井は「あなたに疑いが無いかと・・・」と上擦った声で言う。
「何の疑いだよ!」と更に突っ込んでみると「薔薇族・・・」と顔をそらせ気まずく答える。
すると孔蛾は「俺はノーマル!異性愛者!!」と鋭く言った。

「・・・・彼女のいるいないはともかく。俺、そんな人に見えますか?」

青筋浮かせて孔蛾は聞く。

「いえ・・」

薄い笑みをして今井は否定した。

「何で、俺にこんな確認したの?」
「ごめんなさい・・・どうしてもこれだけは、確認したかったものですから」
「だから何で!」
「それは・・・それは、先ほど言ったお願いの為です」
「それで?」
「実は・・・・」

今井は冷静な顔に戻って口を開く。

「結婚してほしいです、春日子ちゃんと!」
「!!!――――― ―!はぁ!!?」

孔蛾の声が狭い室内に響き渡る。何事かとマスターがカウンターから顔半分覗く。
この女はさっきもとんでもない事を言ったが、今度はそれ以上のとんでもない事を言う。
口から心臓が飛び出るぐらい驚いた。


「けっ、けっこん!?火曜サスペンス出てくる現場の血痕じゃなくって?」
「はい、愛し合う男女が夫婦になる結婚です」
「はぁ!?何で俺が春日子なんかと結婚しなきゃいけねぇーんだよ!」
「おやめなさい"春日子なんかと"とは何ですか!春日子ちゃんに失礼です」
「だっ、だって〜ぇ!まだ、ガキだよ!高校生だよ!チビだよ!ありえねぇー!本気?本気で言ってんの?」

孔蛾は露骨に嫌な顔をして「嘘だろ?」と疑う。てか、何で?なんで俺と春日子が結婚?て思う。
正直冗談って言って欲しい。だが、今井は冷静な表情を崩さない。

「確かに春日子ちゃんには結婚はまだ早すぎる。あの子は年齢に比べて随分幼く見えるし、異性の認識すらきちんと意識できていない。
それ以前に・・・自分の事を本当は男と思っている。ですが、お願いです。如何してもお願いです。お願い」

今井は強い眼差しを孔蛾に向ける。そのせいか孔蛾も冷静な顔になる。
そして、その整えた冷静な顔を今井の顔に近づける。すると黒い瞳と瞳がかち合う。
しばらく二人はじっと互いを睨む。沖縄のヘビとマングース見たいに睨み合う・・・・。
「結婚してくれますね?」と今井が返事を求めると。
「ヤダ!」と孔蛾は即答した。

「どうして!?何故です!」
「だって好きでもないのに結婚できるわけねぇーだろ!当たり前だろーが!
それに春日子本人の意思はどうなんだよ!あいつの気持ち無視していいのかよ!
好きでもない者同士結婚したって無意味だろ!アンタが俺に強要している結婚っていうのは、愛し合う男女が夫婦するもんなんだろ?」

真面目な顔をして孔蛾が自分の考えを述べる。その姿に今井はふっと笑った。
その笑みはまるで"安心して思わず出してしまった"という様な笑みだ。一瞬の出来事である。
だが孔蛾はそんなのには気付かず、「矛盾している!」だの「俺はロリコンじゃねぇー」だの「16歳の嫁は洒落にならん!」だの言いたいことを言い続けている。

「だいたいねぇ〜あんた面識もない男に向って突然、この子と結婚してくれなんて話おかしいだろ?」

孔蛾は横に置いてあるビンからシュガースティックを取りだし、
口を切るとコーヒーカップにザラザラと注ぐ。それを二度も三度も繰り返す。
どうやら彼の手遊びらしい。おかげでコーヒーカップにどんどん砂糖がたまっていく。

「・・・ええ、そうですね。確かにそうです。でも・・・・」

納得してくれたような顔を見せるが、
今井は着ているコートの内ポケットに手を入れゴソゴソと何かを取り出す。
何してんだろうと孔蛾が思った途端、ペラッと白い紙がテーブルの上にのった。
「なっ、何これ?」と言う孔蛾に今井はニッと微笑み「あなたの借金の、借用書です」と一言。

「!!何で、何であんたがコレ(借用書)を持ってんだよ!」

孔蛾は度肝を抜かされる。顔面蒼白。
―――― ―何故この人が俺の借用書うぉおおおぉっを!!!!!
飛魚の如く跳ねてテーブルにダイブし、引っ手繰る様に借用書を奪おうとするが、
そうはさせないと寸前の所で今井が紙をサッと取り上げる。

「何すんだよ!!」
「誰が渡すと言いましたか?」
「・・・・・」

恨めしそうに孔蛾は今井を睨む・・・・・・・・。

「まあ、落ち着きなさい。色々と話すことがありますから・・・・」

今井はそう言い聞かせると、孔蛾はしぶしぶ睨むのをやめて気の抜けた馬鹿な顔をする。
これはこれで嫌がらせに近いが・・・・今井は気にせず事の成り行きを話始める。

「―― ―まず、私の仕事は大学の教授です」
「―― ―へぇ〜教授・・・って、その若さで!?あんたいくつ?」
「29です」
「・・・29で大学教授・・・すげぇ〜、ちなみにどこの大学?」
「別に凄いことではありません。どこの大学かと言われても、そこは・・・・日本のどこかです」
「へぇ〜日本のどこかかぁ・・・って、アバウト過ぎだろ!てか、俺の借用書の事教えろよ!」
「それ(借用書)はのちのち話します!・・・質問はいいから、取り敢えず黙っておきなさい。じゃないと話がそれて気が乱れます」
「・・・・」

また恨めしそうに孔蛾は今井を睨む・・・・・・・・。
今井は「コホン!」と咳払いをし姿勢を整えると、また話し始める。

「私の仕事は大学の教授です。大学では講義だけではなく 、空いた時間は素粒子の研究と実験にあてています。
だから殆ど自由な時間が限られています。 ですから、あなたの都合を無視して無理やり自分の都合にあなたを合わせました。
今も忙しい仕事なのですが、昔はもっと忙しい仕事をしていました・・・」
「どんな?」


ついさっき「黙っておきなさい」と注意されたのにも関わらず、孔蛾はまた質問する。
「・・・・質問は後で」と返すと、「気になる」と言い出す。
「・・・あなたは"口を閉じる"という事が出来ないのですか?」とあきれた顔で言うと、
「無理」と即答された。もうこれは仕方ないと完全に諦めた今井は質問に答え出す。
「・・・お金に関わる仕事です。それも大きなお金が」
「金融関係?銀行員とか、消費者金融とか?」
「まあ、それに似たような感じです。仕事内容は都合あってベラベラ喋ることはできませんが、
ただわかり易く一言で言えば世界中のお金を色々な所で色々な事をして儲けていると言った感じです。
その会社は表の仕事もすれば裏の仕事も沢山していました。私はその裏の仕事で巨額の財を手にしました。
しかし、ある事を切欠に私はその仕事をやめました」
「何で?」
「・・・たやすく金持ちに成るのには、とことん汚くないと成れません。金持ちは汚い。
そもそも商売なんて汚くないとやっていけません、 生きて行く上でこれは仕方のないことと言えば仕方のないことなのでしょう。
しかし私はその世界に染まりすぎました。このままではダメな気がした。 だから区切りをつけたのです」
「・・・なるほど」
「忙しい仕事から手を引いて大学の仕事に就くまでの間、私には時間がありました。 その時間、私は故郷で過ごすことに決めました」
「故郷どこ?九州?本州、四国?それとも北陸?」

孔蛾は横にあったナプキンで飛行機を折ると、
「アテーションプリーズ」とフザケタ事を言いながら軽く前へ飛ばす。
飛行機は小さな弧を描き今井の目の前に着陸した。
今井はそれを手で拾うと世界地図(テーブルの柄)の日本、日本の下側へトン!と置き「――九州!」と一言。
続けて「故郷は、九州ののんびりした田舎です」と言う。
しかし、「九州、と言いたいですが、本当は・・・わりと首都に近い所です」と言って今井はズズッ――と飛行機を九州から上へずらし、関東で止める。 飛行機の先は孔蛾の方を向いていた・・・。
孔蛾は「オイ!嘘かよ!」と突っ込んだ。


「くわしく何処かは言いません。しかも実家は有り触れた平家じゃなくって児童養護施設。
親と呼べる人がネグレクトでしたから、
私は八つの時そこに預けられ幼少時代と少女時代を過ごしました」
「なんか、複雑な生い立ちス!」
「――ええ、まあ。人には様々な育ちがあります。別に気にしてはいません」
「・・・・」
「大人になって施設に返ってきた私は、今度は直接処遇職員として過ごしました。
職員は一人で何人もの子どもを担当することになります。
ですから、限られた勤務時間の中で、一人一人の子どもと深くかかわるのは非常に困難です。
ですが、子供はそんな事はわかってはくれません。甘えるのとワガママを言うのが彼らの仕事です。
かといって個々を十分に満足させてやるほどの余裕はありません。
だから、如何しても問題を起こしてしまう児童が出てきてしまうのです。春日子ちゃんもそうでした」
「えっ!春日子!?あいつ施設育ちだったの!?」

孔蛾は唖然とした。身近にそんな境遇の人がいたなんてと。それもごく近くに・・・・。

「驚きましたか?」
「だって聞いてねぇーし!」
「まあ、話しにくい事ですから言わなかったのでしょう。
と言うか、生い立ちを話すようなそれほどの仲でもないのでしょう。あなたと春日子ちゃんは」

たしかに、春日子と孔蛾はそんな仲ではない。春日子曰く・・・・・知人以上友達未満の関係だ。
如何してだろうか、そのことに触れられると何故か胸がチクリと痛い。


「・・・・・」
「問題児だった彼女の担当は私でした。
私と春日子ちゃんは毎日のようにぶつかり合って互いに互いを確認しあっていきました。
おかげでいつしか信頼を築くことが出来ました。春日子ちゃんと出会って5年。
今あの子は確り育って立派な学生になってくれました。
自分の都合で施設での仕事も辞めてしまいましたが、
大学教授という立場でまだ教育に携わっているので、学んでくれることはとても嬉しい限りです」
「―――嬉しいならそれだけでいいじゃねぇーか、何で他人が結婚の話までもってこうとするんだ?」
「確かに他人が口出しするのには、大きなお世話な話しでしょう。
しかし、他人とはいえ私はあの子の後見人になっています。そうなっている以上私には守る責任があるのですよ。
近い未来あの子は一人では決して立ち直れないようなショックを受けるでしょう。
そのショックを乗り越えるのには支えてくれる誰かが必要なのです。それも愛し愛される誰かが・・・」

そこまでいい終わると今井はフッと一息つく。その瞬間、テーブルに長いまつ毛が影を落とした。

「それで、何で俺が結婚相手なの?それより、俺の借用書の話は?」
「それは、誰か都合のいい人がいないかと思っていたところに丁度、
あなたが春日子ちゃんの前に現れたから。・・・・借用書の話は直ぐしてあげます。」
「オイ!たまたまかよ!つーか、何であんたが俺を知ってんの?春日子から聞いたのか?」
「さ〜?それは秘密です」
「オイ!」
「で、あなたが一番聞きたい借用書の話をしてあげましょう・・・・」
「!―――聞かせて」

孔蛾はそれを待っていましたと目を輝かせる。

「―――まあ、あなたの事を色々調べたら
とんでもない額の借金があったので・・・・私が代わりに払ってあげました。一億二千万!」
「!!!オイ!おィいいいっ!!何だってぇ――――――― ――っ!!?」
「ですから私がこの借用書を持っているのですよ。
長い前ふりの後の短い説明だったけど、わかった?」

今井はピラッと紙をちらつかせる。

「それにしても静かでしょ?毎日の暮らしが」
「・・・・・・」
―――――― ―道理で、道理でこの頃借金取が追いかけて来ない訳だ!
散々あんなに俺を追いまわしていたのに。
おかしいと感じてたんだよ!妙だ妙だとは思ってはいたが、
なるほどこういう訳だったのかあぁっ!!

孔蛾の最近の疑問が解決した瞬間である。

「さて、見返りを求めてはいけないのですが、私のお願い聞いて頂けません?」

スマイリーで今井は再度お願いする。

「やっぱりヤダ、無理です。と、お断りのお願いをしたら?」

孔蛾もスマイリーでお願いしてみた。

「そしたら、私が立て替えたお金をキッチリあなたに払ってもらうまでです!」
「!!脅し!そんなの脅迫じゃんか!脅迫!!脅し!おどしぃヒィイ!!」

孔蛾が恐怖で悶絶寸前の間、今井はまたコートの内ポケットから薄い紙をもう一枚取り出す。
今度は"婚姻届"と書かれた紙を・・・。

「!!!それはっ・・・」
「婚姻届です。この婚姻届にあなたと春日子ちゃんが記入をして役所に届けなさい。
そうしたら借用書を返してあげます」
「・・・・」
―――――― ―やられた・・・はめられた・・・完璧にはめられた!!!
弱み握ったもん勝ちかよっ!!ちくしょ―――――――っ!!
「どうします?」
「・・・・・努力してみます」

そう言うと孔蛾は黙って今井から婚姻届を受け取る。
詐欺だぁ―――!!と心の中で叫びながら・・・。

「良い結果を待っています」

今井は素早く借用書をしまうと、杖を支えに辛そうに立ち上がる。苦しそうに顔を歪めて。
座ったときから目にとまった杖。矢張り、障害を彼女は抱えていたのだ。
「・・・腰が悪いんですか?」と心配そうに孔蛾が聞くと「いえ、足が・・・・でも気にしないで下さい。捻挫です、大丈夫」と言う。
しかし「・・・両方の足を?階段からでも落ちたんですか?
おかしい。あなた、歩き始め強張っていた。失礼ですが、変形性膝関節症なんじゃないですか?」と思いがけない一言を返された。
「・・・・痩せているのに?」と呟くように言うと、「痩せていても、なりますよ・・・変形性膝関節症は」と鋭い顔つきで言われる。
どうしてだろうかこの時、肉屋の店員である孔蛾が白衣を着た利口な医者に見えた。

「・・・・お詳しいのね。医学に」
「ええ、少々」
「お医者様でも目指していたのかしら?」
「・・・はい、大昔に」
「・・・バレバレでしたか・・・私の足」
「なんとなく、足を痛めた"老人"に似ていたから・・・」
「・・・・そう。足を傷めた老人・・・ね」
「変形性膝関節症は老人に多い症状の一つですから」
「そう、老年病なのね・・・」

今井は"老人"と言う言葉に複雑な顔をする。何か引っかかりがあるようだ・・・・・。

「でもアナタはまだ若い・・・何か過激なスポーツでもやっていたんですか?」
「まあ、そんなもんです」
「・・・・」
「くれぐれも私の足のことは春日子ちゃんにも誰にも絶対に言わないで下さい。
それと、今日私と会った事も話したことも・・・・何一つ」
「・・・わかりました」
「口止めとしては格安ですが、コーヒー分を奢ります」


今井は杖を頼りにゆっくりとレジへ向う。

「あの、あのさ――― −!」
「!何ですか?」


孔蛾が急に呼び止め、今井が振り返る。

「本当に確認したかったことって、俺に彼女がいるとかどうとかじゃなくって、
結婚について真剣な考えをもっているかどうかなんだろ?ちょっと試して見たんだろ? 最初から滅茶苦茶なこと言って」
「・・・・あら、それもバレバレでしたか。大丈夫、あなたは合格。花丸です。 あなたを選んでよかった。私の目に狂いは無いわね・・・」
「でも、やっぱり互いに好いてもいないのに結婚なんてしていいのかよ! そこのところの考えが全然読めねぇー!」
「・・・おやめなさい!まだわかってもいない事を決め付けるのは、互いに好いてもいないなんて。
いいですか、恋は盲目なので見えません。だから落ちてしまいます。
そして、愛とは芽生えるものです。芽生えた愛は一人では育ちません、枯れてしまいます。
だから二人で育み大きくするのです。すると花を咲かせ実らせます。
それは一生の全てと言っていい素晴らしいものとなるでしょう。
まず、恐れず落ちてみなさい。すると愛の種があるかもしれません。
比喩し過ぎたかもしれませんが、それほどの価値があるということです。
・・・・・頼みます、春日子ちゃんのこと」

今井は孔蛾に綺麗な一礼すると、会計を済ませ「では、失礼」と一言いって去っていった。
その後ろ姿は凛々しくかっこよかった・・・・。



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